私がagender という言葉に出会う前のこと
「女」に「違う!」を感じ続けてきた。
agender という言葉に出会う前、自分をFTM(female to male transgender)だと思って暮らしてたけど、FTXとかMTXというように、出生時の性別を表示する言葉に抵抗があった。
私はただ、性別というシステムから逃げたいだけだ。
それ以上考えなくて済む人生が欲しかった。
こどもたちは何の疑いもなく「自分は女の子」だと言ってかわいい服や文具を手に取る。そんなふうに、「私はどちらでもない」と言って何の疑いもなくのほほんと暮らしたい。
他のLGBTに会おうとし始めたのは10年くらい前。30代になっていた。
その時似た属性であろうと思っていたFTMトランスジェンダーに会うのは避けたかった。
怖い。
だから、私が始めて訪れたのはLGBTなら誰でも行ける昼間の交流会だ。
私が10代の頃インターネットの掲示板でやりとりしていたFTMの人たちには、ちょっとした言葉の行き違いで嫌われてしまった。私を女だと言い、悪口がしばらく続いた。私のメディアリテラシーの問題でもあるけど、初めて話したFTMの人たちの見せた女性蔑視は醜くて、でも私自身もそうだった。私は他のトランスと話すことが怖くなった。
当時インターネットに私がアクセスできる機会は限られていた。PCも持っていなかったし、スマホなんかない、TwitterもYou Tubeもない。書店や図書館にも、トランスジェンダーの本はほとんどない。LGBTについての情報もほとんど手に入らなかった。載っていたのは、家庭の医学の性転換症の項くらい。
街の大きな書店でやっと、「女から男になったワタシ」(虎井まさ衛)に出会ったのも高校生のとき。
読んで私は気が狂っているわけではないこと、私だけではないことに救われたけど、こんな険しい生き方、できるわけない。私は絶望した。
手に入るいろんな本を集め、Faxでナベシャツを発注し、女のふりをしようとし、男になろうとした。
性同一性障害特例法ができたのは2003年、私は白々しい気持ちでそのニュースを見た。
性別のことなんて考えてはいけない。
食えなきゃ意味がない。生きて行くのが先。
在学中に内定をくれた会社は、「結婚しても働いてほしい」と言い、結婚退職した女性社員を笑った。なんだこのセクハラ企業。私はその会社の内定を辞退した。
就職活動にはうんざりした。北海道の経済はあまり良くない。しかも当時は就職氷河期と呼ばれた時期で、私が応募できそうな会社に片っ端からエントリーシートを送っても、「女性の採用はありません」との返答が来た。当時でもこの対応は男女雇用機会均等法違反だ。説明会に行っても、「女性の制服を着られないのなら」と断られ続けた。(これは多分合法)
私は私の人生をまったくイメージすることが出来なかった。
今日のことしか考えられない。自分でいる時間を減らすことが唯一楽な方法。
そうやって私はアルバイトで入った会社でどんどん労働時間が延びていき、一日12時間以上働き、休日は月に2〜3日程度。正社員になるのを怖がっていたけど、30になるのを契機に退職した。
私はずっと、インターネット上で何かを語るときには、FtかMtか、治療の程度、外見に言及したくなかった。それが知られる機会を避け続けてきた。声が知られること、容姿を見られることを避けてきた。それを私がするときは、対面で同じ場を共有するとき。
しかし、そろそろ諦める気持ちになった。
私が産まれたときに割り振られた「女の子ですよ」という宣言、私が経験してきたジェンダーは、そこから始まったのだから。