しょんべんおばけ日記

40代会社員 Agender Aromantic

映画『アイヌモシリ』を観てきた


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札幌狸小路シアターキノで『アイヌモシリ』を観てきた。

 

阿寒湖畔を舞台に、アイヌの血を引く少年カントを通して、長年行われていなかったアイヌの儀式イオマンテを復活させる現代のアイヌの人々の姿が描かれる。

タイトルの「アイヌモシリ」とは、アイヌは人間、モシリは大地を意味する。子熊を飼い、手厚くもてなしてその魂をカムイモシリ(神の国)へ送るのがイオマンテと呼ばれる儀式。この儀式を重視するデボは、反対意見を押し切って子熊を飼い始める。

 

 

以下、映画の内容を含みます。

 

 

イオマンテを行う是非を議論するアイヌの人々のシーンは、まるで私が隣町の町内会の集まりで話を聞いているような臨場感があった。議論の中で印象的だった意見は、誰かが生産した肉をスーパーで買って食べているのに、アイヌとして熊を殺すことへの戸惑い。

現代において熊を殺すことは、アイヌにとってどのように感じられ、和人にはどのように受け取られるのか。

wikipediaイオマンテの項によると、「北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名による通達によって「野蛮な儀式」として事実上禁止となった。2007年4月、通達を撤回している。」とある。

北海道がアイヌの狩猟文化を野蛮とみなしたことは映画中では語られないが、デボが記者との会話の中で「シャモ(和人の蔑称)ならそう言うべな」と記者の視点を問うシーンは、現代のアイヌが自分の土地で異文化として解釈され、見られ続けるものとしての、苦い葛藤を感じる。

和人はアイヌから何を奪ってきたのか。デボの怒りは語られない。

 

この映画で美しいのは、アイヌであることに揺れ、現代の生活のなかで、アイデンティティを表現して生きる人々を見つめる、少年カントの強い瞳だ。

神の国に送られる子熊チビの瞳もとてもかわいい。子熊はとてもかわいい。

子熊のチビは殺されるが、それがアイヌと神との交流なのだ。

 

そして、音楽も素晴らしい。アイヌの楽器が現代的にも伝統的にも、観光のシーンでも、いろいろな形で演奏される光景を見ることができたのも良かった。

ムックリトンコリの演奏は、録音で耳にしたことはあるものの、やはり音楽は演奏される場によって生かされるものだ。ムックリ、持ってはいるけど、あんなふうに演奏されるものなんだなぁ。ちょっと、他にああいう楽器を私は知らない。すごく良いプレイだった。キノでCD買っちゃった。

 

登場人物を実際のアイヌの人々が演じているところも好感がもてる。

草なぎ剛トランスジェンダー女性を演じるなんとかスワンという映画への批判をみて、(それにもちろん Disclosure を観て)シス男性がトランスジェンダー女性を演じることがいかに悪いかを知った今となっては、この点はマイノリティを描く作品としての最低条件だ。

 

アイヌの人々からは、この作品はどのように受け止められているのだろう。

 

 

旭川の川村カ子ト(かわむらかねと)記念館であべ弘士の絵本『クマと少年』の原画をみたの思い出した。あの本買っとけばよかったな。この記念館ではイオマンテで使われる道具やチセ(家)をみることができる。熊を表すアイヌ語は何十もあるそうだ。実際にイオマンテのために飼われて世話係に懐く熊の写真が残っている。

うちの黒猫のぴーちゃんにそっくりでとても怖可愛いかった。

ぴーちゃんは病気で死んだが、生きている間に人間は猫を首尾良くもてなせただろうか。自信がない。ちゅーるやればよかった。

ところであの子熊のチビを、デボはどこから連れてきたのだろう。母熊が怒って襲ってくるのではないか。